chura-machiのブログ<時には万年筆で②>

旅に出てうたを綴る・自転車、鉄道、フォークソング

家系総本山の行列

横浜家系ラーメンの元祖吉村家に行ってきたんだが、ものすごい行列。時間は開店時間前の11時、今日は祝日ではありますがねぇ、なんと130人ほどが行列を作っています。私は今から20年くらい前、ちょうど吉村家新杉田から移転してきた頃、よく通いました。当時神奈川では、家系ラーメンは今以上にブームで、ただ、今と違ってチェーン系の店は少なく、六角家や本牧家、近藤家など、ちゃんと店でスープを作る店が凌ぎを削っていました。
数々の家系ラーメン店が群雄割拠する中で、吉村家のラーメンはスープのキレ、醤油のインパクト、スモークされたチャーシューの美味さといった点で他店とは違い、ハマるととことんハマる味でした。
間違いなく家系ラーメンのトップを走る店でしたが、おそらく今ほどの圧倒的な集客力はなかったと思います。それは他の家系ラーメンのお店も強かったから。むしろ吉村家のスープはかなり前衛的なもの(当然家系ラーメンの先駆者なので常に先を行くわけです)だったので、どちらかというと六角家系のマイルドないかにも豚骨醤油といったスープの方が好きだという人も多くいました。
でも今は一人勝ちですね。本物の家系ラーメンを作る店が本当に少なくなった。今では、吉村家のほか、直系の厚木家、杉田家、末廣家、それ以外は寿々き家、奥津家くらいかな思いつくのは。あくまで私の個人的な意見なので・・・。
最後に吉村家へ来られる場合(私は久々です・・。すごい行列にビビってる。)、休日は最盛期で200人超えると想像されます。行列並びながらこれ書いてますが、11:43時点で150人を超えてますね。吉村家はかなり回転率のよいことで知られていますが、待ち時間の目安は行列の人数マイナス10分だとか。数時間は待つ覚悟ですかね。
店に入店したのが13:03でした。待ち時間は2時間ですね。


チャーシューメン・味玉・かため。店流にいうとチャッ玉かためですね。吉村家は「かため」を注文する人が多く、さらに15人分くらいの麺を一気に茹でるので、自分の順番が遅い場合は確実に「かため」にした方がいい。「ふつう」というと「やわらかめ」になります。ちなみに「かため」をコールしても順番が真ん中より後ろだと「やわらかい」です。まぁ、これは繁盛店ならではで仕方がない。
味はというと、美味いんですが昔と比べると醤油がたちすぎて、スープが薄いと感じました。醤油がガツンとくるのは吉村家の特徴で、これが癖になるんですが、昔はこれに負けないくらいスープも強かった。やっぱりお客さんの数が多すぎるんですかね、スープ作りが追いついていない気がします。あくまで素人の意見ですが。
昔は直系店舗(杉田家、環2家)の中で、一番吉村家がスープが濃く美味しかったですが、今は厚木家が美味いですよ。

私の好きなスニーカーベスト3

1 アディダススタンスミス

 ド・定番なスニーカーですね。ナイキ、ニューバランスに続いてアディダスのスニーカーを履いている人が多い。中でもアディダスといえば、スタンスミス。私はどちらかというと、人とあまり被りたくない、個性的なものが好きだという嗜好性をもちつつ、「王道」も好きなんです。スタンスミスに関しては、まさにこれが当てはまります。
 アディダス社は2020年にサスティナブル宣言をしてから、スタンスミスも一時、天然皮革製品がなくなりました。私は革製品が大好きで、特に履きこんでいったときのシワの感じや、手入れをした時の何ともいえないエイジング感が好きなので、アディダス社のこの決定にはショックを受けました。
 それでも実は、2021年製の完全サスティナブル・合成皮革のスタンスミスを1足持っています。それが下の写真。


2021年の9月に買って、これまで1年半くらいの間、週1くらいの頻度で履いています。この靴のいいところは、汚れを拭き取るだけで綺麗になり、メンテナンスがいらないところ。ただ、残念ながら天然皮革のようなエイジングはありません。でもこいつは頑丈ですよ。


 このスタンスミスは、私が持ってる中で最古参のものになります。サスティナブル前の天然皮革ものです。やっぱり、エイジングがあり、合皮と比べると味わいがあります。


 このスタンスミスは、そろそろモデルチェンジになるかもしれませんが、2022年製のスタンダードなものです。こいつは、天然皮革と合成皮革のハイブリッドモデルとなっています。アディダス社はサスティナブル宣言してから、たった1年でまた天然皮革を使い出しました。甲とベロの部分にだけ天然皮革を使用し、あとはライニングも含めて合皮です。この靴も2022年の2月に購入してから、週1くらいで履いてますが、天然皮革部分はいい感じの風合いになっています。


 さてここからは最近買ったスタンスミス2足を紹介します。1足目はスタンスミス80‘s、80年代のデザインを復活した製品です。こちらはベロの部分を除いてオール天然皮革の製品。これはデザインがクラシカルでかなりカッコいいシルエットです。ただしそれだけに通常のスタンスミスよりも細身で、1サイズくらい大きいものでないと横幅がキツいかもしれません。私の場合スタンスミスのサイズは26.5cmから27.0cmですが、この製品は27.5cmでジャストサイズです。それからこの製品、ちょっと残念なポイントがあります。それは縫製が雑なんですね。明らかに他のスタンスミスと比べてステッチが波打ったり、少しズレていたりと雑です。このスタンスミスはインドネシア製、スタンスミスはインド製や中国製が多いような気がしますが、このあたりに原因があるのでしょうか。22000円と通常の製品よりも高めの設定なだけに、残念な点です。


 そしてこちらのスタンスミスは、2022年の12月に発売されたスタンスミスLUX。この製品は素晴らしいの一言です。オール天然皮革で作られており、ライニングばかりか、インソールまでレザーで作られています。まさにラグジュアリーな1足といえます。これで16500円なので、かなりお得感のある製品ですね。この靴1つだけ注意点があります。それは、インソールの土踏まずが当たる部分がかなりしっかりと膨らみが有ること。私はスタンスミスのサイズは、少し大きめを選ぶのですが、この靴の場合はそれだと土踏まずの膨らみが前にズレて気になります。なので、この製品に限ってはワイズが許す限り、ジャストサイズに近い方が完璧な履き心地を得られると思います。

2 パトリック・パミール

 


 さて次に紹介する靴は、パトリックのパミールという靴。パトリックはフランス発祥のブランドですが、全て兵庫県姫路市で製造されており、まさにジャパンメイドのスニーカーブランドです。
 私がパトリックと出会ったのは、草津温泉のアルカヤ靴店という小さな靴屋さん。そこにふらっと立ち寄って、何となく試し履きした時の感動は忘れられません。この靴の履きやすさは私の中では他の追随を許さない。完璧に足にフィットしているのに余裕がある感覚、まるで靴を履いていることを感じないほどの履きやすさ。やはり日本製は日本人の足に合うのかと。


 パミールは国内のタンナーから仕入れたスムースレザーを使用しており、革靴のように美しい光沢があります。この靴は手入れをしながら長く履く靴ですね。

3 アシックス・ゲルライト3OG

 最後は、アシックスのゲルライト3OG。私のスニーカーの中で、このシリーズが圧倒的なシェアを誇ります。ゲルライト3OGはスプリットタンという、真ん中で分かれたタンが特徴で、足入れのしやすさはバツグンです。ゲルライト3は、元々1990年に発売され、海外で人気のあったモデルですが、ゲルライト3OGとして日本でも復刻して発売されました。
 アシックスのスニーカーで困るのは、同じシリーズでもモデルによってサイズ感が異なること。なので私は必ず店舗で試し履きをしてから購入することにしています。ゲルライト3OGは、全体的に小さめなつくりで、特にワイズが狭いです。これは元々海外向けのモデルだったのが影響しているのではないかと思います。
 アシックスは、ランニングシューズに関しては本当に足にピッタリフィットし、日本人向けに作られていると思うんですけどね。ちなみに私の場合、ゲルカヤノ等のランニングシューズは「27.0cm・ワイズスタンダード」がピッタリですが、ゲルライト3OGの場合は28.0cmがジャストサイズです。


 このゲルライト3OGは、スウェードとリサイクル素材のパッチワークを使用したハイブリッドモデル。アシックスのスニーカーは奇抜な思い切ったデザインも多いです。


 こちらはニホンザルをモチーフにデザインされたもの。ライニングにはゴアテックスが仕込まれており、旅行等に重宝する。しかし、そのせいなのか、かなりワイズが狭い。ちょっと履きにくいかな。でも雨は全く染み込まない。


 次は、紫陽花をイメージしてデザインされたもの。こちらはオールレザーモデルです。スニーカーとしては独特の色合いですね。和風のデザインであり、この辺りは日本メーカーならでは。


 このモデルもオールレザーモデル。淡い朱色の差し色が特徴で、先のゴアテックスモデルと同じで、ニホンザルをモチーフにしている。こちらはかなり質感の良いレザーで、手入れしながら使うとかなり味わいが増しそうな感じがする。


 このモデルは、アトモスとのコラボレーションモデル。マッドな風合いのレザーがただの真っ黒とは違いカッコいい。男っぽいデザインですね。


 最後に紹介するのもアトモスとのコラボレーションモデル。これは相当斬新なデザイン。レザーの甲革に古い世界地図が印刷されている。この思い切ったデザイン、アシックスにしかできないですね。

 以上が私が選ぶスニーカーのベスト3。ナイキやニューバランスといった大人気のスニーカーが入っていませんが、すいません、履いたことがないんです。日本ブランドやジャパンメイドのスニーカーいいですよ。



 

京都-大阪鉄道事情

京都と大阪間には、阪急、京阪、JR西日本と3路線が競合しています。旅行で関西に行った時、私はどの路線に乗るかいつも迷います。この3路線早い順に並べると、

JR新快速>>>阪急特急>京阪特急

料金の安い順は、

阪急特急>京阪特急>>>JR新快速

となります。

まぁ、京阪は少し迂回ルートなので、京都-大阪を直行する場合は、阪急とJRの2択になると思いますが、どうして、私は迷うかというと、阪急の中途半端な混雑ぶりが困るんです。阪急は京都の中心部四条通りに直結するので、観光にはとても便利です。そして、京都の河原町駅も大阪の梅田駅も始発駅なので、余裕で座って行けると思うんですね。しかし、ところがどっこい、始発駅からでも意外と座れない。出発の10分前くらいだと、8両編成全ての席が埋まっています。そしてですね、京都線特急のユーザーは河原町-大阪都心部駅間を乗り通す人がほとんどなので、途中で席は開きません。そして長距離ユーザーなので、座りたい意識高いんですね、なので、かなり早く着かないと座れない。

それじゃ、1本待てばいいのでは、あるいは立っていけばいいじゃない、と思うのだが、これが阪急だと便利さに毒された人間には意外と苦痛なんです。なぜか?

▶︎1本待てない理由
阪急の特急は15分ヘッド。これ、東京の人、気をつけてください。意外と待てません!本数が少な過ぎる。

▶︎立って乗れない理由
阪急の特急は、クロスシートの車両3扉が多く、座れた場合は快適だが、立つのは空間が狭く不快。この不快な空間に40分は長過ぎる!

となると、混んでいて座れないけど京都-大阪間を29分でぶっ飛ばすJR新快速は魅力的なんですね。料金高いけど。

 

故郷忘じがたく候

 池袋から東武東上線の普通電車に乗ると、板橋と名のつく駅が何駅かあります。一つ目の北池袋を過ぎると、下板橋、大山、中板橋、ときわ台上板橋と続きます。
 大山駅で降りると、ハッピーロード大山という、アーケード商店街があり、その中ほどにお肉屋さんがあって、そこのハムカツがえらい旨いんだわ。私はハムカツにはうるさくて、ハムじゃなくてソーセージのハムを使っているハムカツがあるでしょう。あれはダメ、口に入れてかみしめた一瞬だけジューシーかもしれないが、そのあと化学調味料の味がぶわぁーっと。あんなもんハムカツじゃないわ。世の中なんでもかんでも粗びき、ジューシーにすればいいってもんじゃない。だから私はシンプルにロースハムをつかったヤツしか認めない。できれば丸じゃなくて四角いのがいい。
 それで、ハッピーロードにあるお肉屋さん、通常のハムカツはもちろん美味いんだが、特筆すべきは、ロースハムを2枚使って間にチーズを挟んで揚げたチーズハムカツ。私、変化球はあまり好まないんだけど、このチーズを挟んだハムカツは超絶うまい!特に揚げたては、サクサクの衣にほんのりハムの風味が香り、肉感もいい、そこに強烈にトロ―とした濃厚なチーズの旨味がドカーンとくる。これはね、正直あまりにも印象に残りすぎた。それで、少し大山は遠いんだけど、また行ったんですよ。もう大山の駅に降りた時から、完全にチーズハムカツ食べたいモード。夏の暑い日だったねぇ、その時は友人と二人でハッピーロードのアーケードを歩いて、その店の前に立った。そしたらまさかのシャッター・・・。うぉーーー、マジかよ!!定休日だよ!!!いやー、これねぇ、よくある古典的なオチなんだけど、当事者はたまったもんじゃない。なんせ、口の中は完全にチーズハムカツモードなんですから。
 私も友人も街歩きが趣味で、いい町並みがあるとそれを肴に酒を飲める、これは私だけかもしれないけど、趣のある路地裏で昭和の商店などの家並みを見ながら、コーヒーを飲むなんてのは最高の幸せですね。まぁ、そんなちょっとDEEPな趣味をもっているもので、大山で大惨敗した後、私たちはぶらぶらと暑い日差しをもろともせず、東武東上線沿線を歩きました。やがて夕暮れが近づいたころ、中板橋の街に入り商店街をぶらぶら。やきとりなんか焼いていると、ちょっと1~2本つまみたくなりますわな。
 中板橋という街は、もともと板橋には上板橋と下板橋という川越街道の宿場町があって、戦後になってから(1957年)その間に東武鉄道が駅をつくった。その駅名を中板橋という名前にしたということから、この街の歴史が始まったそうだ。比較的新しい街なんですね。で、この街で印象的なのは石神井川。私は中板橋を訪れたのは、その時初めてだったんだけど、商店街の賑わいを抜けると、石神井川が流れている。やっぱり、川のある街はいいですね。美しいです。なんかホッとしてそこだけ時間がゆっくり流れているような。やがて夜のとばりが降りてくる頃になると、よく晴れた夏の空は茜色に染まる。それをしばし眺めるんだね。いい時間だよね。
 その後、石神井川のほとりに「相馬」という飲み屋があって、そこへ入った。顔から人の良さが滲み出てる親父さんが一人で切り盛りしている。最初は私たちだけだったが、だんだん馴染みの客が入ってきて、席は1時間もすればいっぱいになった。親父さんは、忙しく働きながらもお客に声をかけることを忘れない。これがうまい具合に平等に話し相手になってくれるんだな。それでやっぱり聞いてみた、そうしたら親父さんは相馬出身だって。
 東日本大震災から今度の3月11日で12年が経つ。意に反して故郷を離れなければならない状況、これはとても残酷なことです。とりわけ福島の浜通りに住む人達の中には地震、大津波に加え、原発事故の被害により、二度と故郷の地を踏むことができなくなった方々もいる。
 だいぶ昔に読んだ小説で、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」という小説がある。大変感銘を受けましてね、豊臣秀吉朝鮮出兵の折、島津氏が朝鮮半島の陶工、数十人を全羅北道原城というところから、強制的に連れて来た。その後、彼らは薩摩の苗代川というところに住み着いたわけなんだけどね、それからはね大変なご苦労をされたわけです。
 鹿児島に「白薩摩」という大変有名な陶磁器があります。彼らは見知らぬ土地で、もちろん差別などもたくさんあったんだろうと思う。でも彼らは陶器づくりの名人達、歴史に残る作品を生み出し、作り続けたわけです。
 故郷を離れ、十数代をへて現在に至る。確かに長い時はたったが、やみがたい、望郷の念は決して消えることはない。日本で代を重ね、確固たる名声を築いてもなお、「故郷をもう思い出すことはないか」と問われれば、いつまでも「故郷忘じがたく」と答える。
 福島の人たちもある日突然、意に反して故郷を離れることになった。ゆっくり考える間もなく、家も先祖も捨てて、異郷の地へやって来た。あれから何年経っても、二度と帰ることのできない故郷を忘れることはできないんじゃないかな。たとえ、たくさんのやさしさに救われたとしても。

故郷忘じがたく候

詞・曲 chura_machi

赤ちょうちん 相馬の暖簾をくぐれば
粋な親父さんの あの笑顔
浜通りの風を 石神井川の流れにのせて
あゝ あれから11年
なかいたの人情に 救われてね
涙、涙 故郷忘じがたく候

商店街を人が 埋め尽くす
へそ祭りが 戻ってきた
石神井の風は 相馬へ希望を乗せて
あゝ ここで11年
なかいたの優しさに 救われてね
涙、涙 故郷忘じがたく候

稲垣浴泉で 汗を流せば
今日も一日が過ぎる
茜色の空が 石神井川にかかる頃
あゝ そして11年
今夜も相馬の暖簾をくぐる
みんなの笑顔 故郷忘じがたく候

あゝ あれから11年
なかいたの「ひと」に救われてね
涙、涙 故郷忘じがたく候

旅の記憶

私は日本、国内旅行が好きで、47都道府県全て行ったことがあります。もちろん電車や車で通過しただけっていうことではなく、ちゃんと旅行で訪れているわけです。たまに新幹線で通過しただけなんていう人がいますが、それは旅したことにはなりません。
それじゃぁ、これまで行った中で一番よかったところは?と良く聞かれるんですが、それは中々答えるのが難しいんですね。なんで難しいかというと、一つは日本の街はほんとどこも美しく、みんな興味深い、つまり、どこが一番と選べないんです。それからもう一つ、京都の祇園とか北海道の富良野・美瑛だとか超有名な観光地ももちろん好きなんです。だけど旅通としては、いささかカッコつけたい。う〜ん、そうだね、岡山の備中高梁から、車で1時間ほど走ったところに「吹屋」という美しい町があるんだよ、中々行くのがたいへんでねぇ、山の中に突然現れる美しい町並み・・・、なんてことをうんぬんかんぬん喋りたいわけ。ただ聞いている方はだんだん退屈してくるわけでね。その辺のバランスがむずかしい。
今から10数年前でしょうか、鹿児島へ旅しました。その時は鹿児島への直行便が取れず、一旦博多へ行きそこから開通したばかりの九州新幹線に乗り、鹿児島中央駅に着いた。昔は西鹿児島駅って名前だったけど、新幹線が開通し中央駅と名前が変わり、名実ともに鹿児島の玄関駅となった。それで、中央駅から市電(路面電車)にのって、市街の方へ向かうわけです。どこの街も大体そうなんだけど、昔の国鉄の駅は街のはずれに位置してるんですね。例えば大阪駅は大繁華街梅田にあるけれど、昔はあのあたりは何にもなかった。埋めた田んぼで埋田、それが地名の由来って話もある。昔からの大阪の中心部は大阪城の城下、本町、船場あたりだった。横浜駅だってそう。初代横浜駅は今の桜木町駅だけど、昔の横浜を想像してごらん、そう横浜の中心部は大さん橋より南側、関内、伊勢佐木町、元町あたりだった。
で、鹿児島の話に戻るけど、市電に乗って市街地の真ん中、天文館の一つ手前の電停、「高見馬場」で降りた。この辺りはちょっと路地に入ると鹿児島一の飲み屋街。昼間っから歩いても昨夜の余韻が残っている街なんですね。なんでいきなりこんなとこで降りたのかというと、そこにホテルをとってたから。まぁまぁ、それで市内を観光して、夕方戻ってきたら楽しい旅の夕げですよ。
さすが鹿児島一の飲み屋街だけあって、よりどりみどりなのですが、その日は路地裏のちっちゃな地元料理の飲み屋に入った。中年の夫婦が経営している店で、地鶏の料理だとか安くておいしいの。客は私一人しかいなかったので、自然と私の旅の話を聞いてくれる。特に奥さんは聞き上手で明るい性格。明日は知覧へ行くことを言ったら、ここがいい、あそこ行ったらいいと色々と教えてくれた。そんな時ご主人はカウンター越しににこやかに笑みを浮かべ、うんうんうなづいている。あまりにも、いい雰囲気についついお酒も進んだわけで・・。
帰り際、二人で暖簾の外まで見送ってくれて、「明日から良い旅を!」と奥さんの明るい声がよかったねぇ。

旅の記憶

詞・曲 chura_machi

市電を降りて 路地に潜り込めば
昼間の飲み屋街 昨夜の余韻
高見馬場のやきとり屋で
南国の香り 感ずるとき
あの優しい夫婦の かたりに送られ
たどる鹿児島の 旅はつづく

何も考えずに 乗った列車で
たどり着いたのは 最南端の駅
開聞岳から 吹く風は
菜の花畑を 激しく撫でる
その昔 海を目指して飛び立った鳥が
二度と帰らなかったこと
かなしい片道切符

激しい春風に 逆らいながら
一人歩いていると
今日もおばさんたちが
野菜を背負って 駅に向かった

桜島を眺め コーヒーを飲みながら
相変わらずだな 僕の旅 一人旅

ミナミのほうのうた

大阪のミナミといえば、心斎橋、道頓堀、難波あたりをいうが、そこよりさらにミナミのほうは、少なくとも私が初めて大阪へ行った30年くらい前はかなり治安が悪かった。
今でこそ新世界あたりは、串カツ屋が軒を連ね、観光客で賑わうようになったが、私が初めて訪れた頃の新世界(1990年代)は、まだまだ労働者の街の雰囲気が残っており、昼間から一升瓶を手にしたオッサンがほっつき歩いてるようなところだった。通天閣へ昇るエレベーターは古めかしいもので、乗るとカタカタと小刻みに揺れた。たどり着いた展望台からは北側の高層ビル群と、南側の雑多な平屋が連なる景色の落差に驚いたものだった。
新世界から南へ真っ直ぐ伸びる南陽通り商店街は、ジャンジャン横丁と呼ばれ親しまれているが、本来は飛田遊郭へ行くための正面通りだったという。昔は三味線をジャンジャン響かせ、遊郭へ向かう客を景気づけたそうだ。
新世界のさらに南には釜ヶ崎があり、日雇い労働者が暴動を繰り返した街。男達は朝からノミや博打に明け暮れ、働いてもその日稼いだ金は全て酒に消える。一方、女達は立ちんぼか飛田に売られ、その身を削る。

「明日など見えない街」だった。

ミナミのほうのうた

詞・曲 chura_machi

地下鉄の階段から出ると 
人もまばらな色褪せた風景
それがこの街の日常 男は一日を酒に投げる
明日など見えない とにかく今だけがほしい
南には鋭い視線の 女たちの姿
あたりには 陽気な三味線の音
帰れる場所などない あゝここが最期の
ふと思う 俺は何を見てきたのか
人々がここにおる 必死にここにおる
今日もまた 夜が来る
暗闇の向こうには 通天閣

どんよりと曇った街 
一升瓶が通りに転がっている
高架下には闇を売る男と 身を売る女の姿
とうに哀しさなど捨てて ここが故郷と集う
行ける場所などない あゝここが最期の
今思う 俺に何を見たのか
人々がうちにおる たしかにうちにおる
苦しいほど 明日を憎む
遠くにはいつも 通天閣

人々は言う あそこに行っては行けないと
あれは 人間の住むところではないからと

ギブソンJ45 ワインレッド

シンガーソングライターの吉田拓郎さんが引退します。拓郎の作った曲、歌う声、そしてギター、全てがカッコいい。

70年代、神ってた頃の拓郎も良いですが、私は意外と2000年から復活つま恋の頃の拓郎が好き。大人の雰囲気で丁寧にギターを弾き、瀬尾一三率いるビッグバンドをバックに歌った拓郎は最高にカッコよかった。その頃拓郎が使ってたギターに似たヤツを手に入れました。

▶︎ギブソンJ45ワインレッド

実際の拓郎が使っていたものは大阪の三木楽器の特注モデルだったみたいですが、これも同じギブソンJ45でよく似ています。私はワインレッドが好きなので、このカラーはとても惹かれました。ただこの仕様のモデル、ブラックは比較的見るのですが、ワインレッドはなかなかないんですね。60年代仕様のピックガードもいい!

私の持ってるヤマハ、マーティンとは全然違う音で、最初は驚いたが、弾くたびに惚れていく音色です。

マーティンが完璧な音色ならば、こいつは不揃い。それがいいんです。ただ、弾きやすさではマーティンよりずっといいですね。サイドバックマホガニーなので軽いし、そして弦高が低く設定されているのが素晴らしい。(弦高は6弦2.0mm、1弦1.8mm、いずれも12フレット)

マーティンは日本の気候に合わないのか、ブレーシングが外れたり、ネックが反ったりと、全くもって管理に気を使うヤツですが、ギブソンはどうでしょうか。マーティンは、いちいち弦を緩めないとネックが反るというデリケートさを発揮しつつ、弦も切れやすいというわがままさも見せる。どうも、ギブソンはそうではなさそう。

とにかく拓郎気分でこれをジャカジャカする日々です。

このギターで曲を書きました!

裏路地

詞・曲 chura_machi

西川口の裏路地では 今日も男どもがうめき合う
仕事も中途半端に 飛び出して
昼間から酒を煽っている
くそったれのブルースを歌い
閉めちまってる 店のシャッターを蹴り飛ばす

夜もすっかり更けこんで 
一人スナックで酒を飲んでいる
ママは先週から どっかへ行っちまって
わけのわからねぇババァが 店を仕切ってる
角瓶しか置いてねぇ くたびれた酒棚から
「おまえもそろそろやり直せと」ママの手紙

やがて東の空が 白みかける頃
俺はまとめる荷物もないまま
はした金握って 安いジャンバーを着込んで
一人旅に出た
見知らぬ街の 裏路地を歩いて
電車も遠らねぇ ホームを見つめている