chura-machiのブログ<時には万年筆で②>

旅に出てうたを綴る・自転車、鉄道、フォークソング

ミナミのほうのうた

大阪のミナミといえば、心斎橋、道頓堀、難波あたりをいうが、そこよりさらにミナミのほうは、少なくとも私が初めて大阪へ行った30年くらい前はかなり治安が悪かった。
今でこそ新世界あたりは、串カツ屋が軒を連ね、観光客で賑わうようになったが、私が初めて訪れた頃の新世界(1990年代)は、まだまだ労働者の街の雰囲気が残っており、昼間から一升瓶を手にしたオッサンがほっつき歩いてるようなところだった。通天閣へ昇るエレベーターは古めかしいもので、乗るとカタカタと小刻みに揺れた。たどり着いた展望台からは北側の高層ビル群と、南側の雑多な平屋が連なる景色の落差に驚いたものだった。
新世界から南へ真っ直ぐ伸びる南陽通り商店街は、ジャンジャン横丁と呼ばれ親しまれているが、本来は飛田遊郭へ行くための正面通りだったという。昔は三味線をジャンジャン響かせ、遊郭へ向かう客を景気づけたそうだ。
新世界のさらに南には釜ヶ崎があり、日雇い労働者が暴動を繰り返した街。男達は朝からノミや博打に明け暮れ、働いてもその日稼いだ金は全て酒に消える。一方、女達は立ちんぼか飛田に売られ、その身を削る。

「明日など見えない街」だった。

ミナミのほうのうた

詞・曲 chura_machi

地下鉄の階段から出ると 
人もまばらな色褪せた風景
それがこの街の日常 男は一日を酒に投げる
明日など見えない とにかく今だけがほしい
南には鋭い視線の 女たちの姿
あたりには 陽気な三味線の音
帰れる場所などない あゝここが最期の
ふと思う 俺は何を見てきたのか
人々がここにおる 必死にここにおる
今日もまた 夜が来る
暗闇の向こうには 通天閣

どんよりと曇った街 
一升瓶が通りに転がっている
高架下には闇を売る男と 身を売る女の姿
とうに哀しさなど捨てて ここが故郷と集う
行ける場所などない あゝここが最期の
今思う 俺に何を見たのか
人々がうちにおる たしかにうちにおる
苦しいほど 明日を憎む
遠くにはいつも 通天閣

人々は言う あそこに行っては行けないと
あれは 人間の住むところではないからと