chura-machiのブログ<時には万年筆で②>

旅に出てうたを綴る・自転車、鉄道、フォークソング

故郷忘じがたく候

 池袋から東武東上線の普通電車に乗ると、板橋と名のつく駅が何駅かあります。一つ目の北池袋を過ぎると、下板橋、大山、中板橋、ときわ台上板橋と続きます。
 大山駅で降りると、ハッピーロード大山という、アーケード商店街があり、その中ほどにお肉屋さんがあって、そこのハムカツがえらい旨いんだわ。私はハムカツにはうるさくて、ハムじゃなくてソーセージのハムを使っているハムカツがあるでしょう。あれはダメ、口に入れてかみしめた一瞬だけジューシーかもしれないが、そのあと化学調味料の味がぶわぁーっと。あんなもんハムカツじゃないわ。世の中なんでもかんでも粗びき、ジューシーにすればいいってもんじゃない。だから私はシンプルにロースハムをつかったヤツしか認めない。できれば丸じゃなくて四角いのがいい。
 それで、ハッピーロードにあるお肉屋さん、通常のハムカツはもちろん美味いんだが、特筆すべきは、ロースハムを2枚使って間にチーズを挟んで揚げたチーズハムカツ。私、変化球はあまり好まないんだけど、このチーズを挟んだハムカツは超絶うまい!特に揚げたては、サクサクの衣にほんのりハムの風味が香り、肉感もいい、そこに強烈にトロ―とした濃厚なチーズの旨味がドカーンとくる。これはね、正直あまりにも印象に残りすぎた。それで、少し大山は遠いんだけど、また行ったんですよ。もう大山の駅に降りた時から、完全にチーズハムカツ食べたいモード。夏の暑い日だったねぇ、その時は友人と二人でハッピーロードのアーケードを歩いて、その店の前に立った。そしたらまさかのシャッター・・・。うぉーーー、マジかよ!!定休日だよ!!!いやー、これねぇ、よくある古典的なオチなんだけど、当事者はたまったもんじゃない。なんせ、口の中は完全にチーズハムカツモードなんですから。
 私も友人も街歩きが趣味で、いい町並みがあるとそれを肴に酒を飲める、これは私だけかもしれないけど、趣のある路地裏で昭和の商店などの家並みを見ながら、コーヒーを飲むなんてのは最高の幸せですね。まぁ、そんなちょっとDEEPな趣味をもっているもので、大山で大惨敗した後、私たちはぶらぶらと暑い日差しをもろともせず、東武東上線沿線を歩きました。やがて夕暮れが近づいたころ、中板橋の街に入り商店街をぶらぶら。やきとりなんか焼いていると、ちょっと1~2本つまみたくなりますわな。
 中板橋という街は、もともと板橋には上板橋と下板橋という川越街道の宿場町があって、戦後になってから(1957年)その間に東武鉄道が駅をつくった。その駅名を中板橋という名前にしたということから、この街の歴史が始まったそうだ。比較的新しい街なんですね。で、この街で印象的なのは石神井川。私は中板橋を訪れたのは、その時初めてだったんだけど、商店街の賑わいを抜けると、石神井川が流れている。やっぱり、川のある街はいいですね。美しいです。なんかホッとしてそこだけ時間がゆっくり流れているような。やがて夜のとばりが降りてくる頃になると、よく晴れた夏の空は茜色に染まる。それをしばし眺めるんだね。いい時間だよね。
 その後、石神井川のほとりに「相馬」という飲み屋があって、そこへ入った。顔から人の良さが滲み出てる親父さんが一人で切り盛りしている。最初は私たちだけだったが、だんだん馴染みの客が入ってきて、席は1時間もすればいっぱいになった。親父さんは、忙しく働きながらもお客に声をかけることを忘れない。これがうまい具合に平等に話し相手になってくれるんだな。それでやっぱり聞いてみた、そうしたら親父さんは相馬出身だって。
 東日本大震災から今度の3月11日で12年が経つ。意に反して故郷を離れなければならない状況、これはとても残酷なことです。とりわけ福島の浜通りに住む人達の中には地震、大津波に加え、原発事故の被害により、二度と故郷の地を踏むことができなくなった方々もいる。
 だいぶ昔に読んだ小説で、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」という小説がある。大変感銘を受けましてね、豊臣秀吉朝鮮出兵の折、島津氏が朝鮮半島の陶工、数十人を全羅北道原城というところから、強制的に連れて来た。その後、彼らは薩摩の苗代川というところに住み着いたわけなんだけどね、それからはね大変なご苦労をされたわけです。
 鹿児島に「白薩摩」という大変有名な陶磁器があります。彼らは見知らぬ土地で、もちろん差別などもたくさんあったんだろうと思う。でも彼らは陶器づくりの名人達、歴史に残る作品を生み出し、作り続けたわけです。
 故郷を離れ、十数代をへて現在に至る。確かに長い時はたったが、やみがたい、望郷の念は決して消えることはない。日本で代を重ね、確固たる名声を築いてもなお、「故郷をもう思い出すことはないか」と問われれば、いつまでも「故郷忘じがたく」と答える。
 福島の人たちもある日突然、意に反して故郷を離れることになった。ゆっくり考える間もなく、家も先祖も捨てて、異郷の地へやって来た。あれから何年経っても、二度と帰ることのできない故郷を忘れることはできないんじゃないかな。たとえ、たくさんのやさしさに救われたとしても。

故郷忘じがたく候

詞・曲 chura_machi

赤ちょうちん 相馬の暖簾をくぐれば
粋な親父さんの あの笑顔
浜通りの風を 石神井川の流れにのせて
あゝ あれから11年
なかいたの人情に 救われてね
涙、涙 故郷忘じがたく候

商店街を人が 埋め尽くす
へそ祭りが 戻ってきた
石神井の風は 相馬へ希望を乗せて
あゝ ここで11年
なかいたの優しさに 救われてね
涙、涙 故郷忘じがたく候

稲垣浴泉で 汗を流せば
今日も一日が過ぎる
茜色の空が 石神井川にかかる頃
あゝ そして11年
今夜も相馬の暖簾をくぐる
みんなの笑顔 故郷忘じがたく候

あゝ あれから11年
なかいたの「ひと」に救われてね
涙、涙 故郷忘じがたく候