chura-machiのブログ<時には万年筆で②>

旅に出てうたを綴る・自転車、鉄道、フォークソング

ギター・アコギ・フォークソング

 ▶私のギターそれはフォークソングから

私が持っているギターの紹介をします。そもそもなぜギターを持っているかですが、私は70年代のフォークソングが好きだからです。時代的には私が生まれる前ですが、この年代の曲、特にフォークソングが好きなのです。

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ヤマハLJ36

私はギターを3本持っていますが、フラッグシップに位置付けているのがこのギター。

表板がイングルマンスプルース、裏板・側板がインディアンローズウッド、指板がエボニーというアコギの王道仕様です。くびれが大きいのが特徴で、座って弾くとき持ちやすい。このギターはセミカスタムオーダーで買ったものなので、音の鳴りは選べませんでしたが、とてもよくなるギターです。湿ったサウンドではなく乾いたサウンドが特徴。私は煌びやかな音が好きなので、フォスファーブロンズ弦を使用していますが、マーティンのギターと比べるとキラキラ感は抑え目な感じです。

指板の桜インレイは、私の好きなアーティスト・南こうせつさんのギターをモティーフ!?にしました。

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桜のインレイ

南こうせつさんのギターと言えば、数年前銀座の山野楽器に期間限定で展示されていたこうせつさんのギターの写真がありますので紹介します。

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南こうせつ氏ギター

南こうせつさんのギターで一番有名なのはこれではないでしょうか。最近ライブで見られなくなりましたが、桜吹雪の蒔絵が美しすぎます。もはや芸術品ですね。

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美しい桜吹雪

フォークソング革命

これからフォークソングについて語りまくります。

60~70年代初頭のフォークソングの出現がこそが、現在まで続く日本のポップミュージックの原点になっていると思う。日本のフォークソングの台頭は、テレビと歌謡曲で成り立っていた当時の日本の音楽界の寡占状態をぶち壊した事件と言えると思います。フォークシンガーたちは、自分で曲を生み出し、奏で、そしてライブを行った。

▶歌謡曲と仲良しだったグループサウンズ

フォークソングが台頭する前の日本のポピュラーミュージック界の定番は、作詞・作曲家が作った音楽を歌手が歌うという分業体制でした。そこにビートルズの風が吹き荒れます。これまで戦後のお茶の間を楽しませてきた歌謡曲とは明らかに違う、新しいサウンドエレキギターをかき鳴らして演奏するバンドのカッコよさ、こういったものに、当時の若者たちの心はわしづかみされました。そんな時代に登場してきたのが、グループサウンズ(GS)と言われたバンド歌手たち。エレキギターエレキベース、ドラムを自分たちで演奏する姿が、とてもカッコよく当時の歌謡界を達観しました。ただGSはテレビの申し子であり、サウンドもこれまでの歌謡曲の延長といった感じは否めませんでした。

▶シンガーソングライターの登場

グループサウンズ時代も加山雄三などのシンガーソングライターはいましたが、本格的に登場してきたのはやはりフォークソングから。彼らがこれまでの歌手たちと決定的に違ったのが、自由だったということ。それは曲作りから、曲の演奏、コンサートに至るまで・・自分たちで曲を作り、演奏し、そして発表する。別にみんなが聴いてくれなくていい、好きな人だけ集まって自分たちだけの時間を過ごせれば。

当時の日本の音楽界の重鎮たちはこれを甘く見ていたと思います。あれは、「はしか」のようなもので、ブームはすぐ去ってしまうと・・。

▶権力への反発

フォークシンガーたちの原点はやはりビートルズの風、でもグループサウンズと違ったのは、サウンドやスタイルだけでなく自由さを受け取ったこと、そしてそれがシンガーソングライター。それまでの日本の歌謡界ではおそらく非常識であろう、政府批判、権力批判を歌にして大いに若者に受けました。ギター一本で思いのたけを叫ぶ、このスタイルは歌がうまい下手など関係なく、人の魂を揺さぶればいい。中津川フォークジャンボリーなどゲリラ的なフェスを行ってどんどん若者の心を虜にしていきました。フォーク界の神と呼ばれた、岡林信康はこの時代に活躍しました。

吉田拓郎の登場

フォークソングはすでに「はしか」のような一時的な熱ではとどまらず、若者の間で熱狂的なブームになっていきましたが、まだまだお茶の間から歌謡曲を追い出すほどの力をもってはいなかった。そこに登場したのが吉田拓郎、彼はこれまでのフォークシンガーたちとは違いました。彼は権力批判などの高尚なものではなく、若者の日常や恋愛といった身近な内容を歌にしたのです。

<つづく>